はごろもランジェリー店主治代(haruyo)の日記

ハンドメイドのリラックスランジェリーと着物と自然と生活

留袖と喪服

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私はお嫁入りの時に18歳。

19歳になる年で、

成人式の頃には既婚者だから

振袖は着れません。

 

留袖と喪服の一式を

家族に用意して貰って

お嫁に行きました。

 

母の中振袖を着ても

誰も責めなかっただろうし

 

義母の振袖の袖を切って

訪問着にした着物も借りれる環境でした。

この様式も当時は、

振袖の有効活用のひとつだったのでしょう。

 

ですが

私は、留袖も充分に嬉しくて

ずーっと祖母と母がお世話になっていた

呉服屋さんに見立てて貰った

この留袖が大好きです。

 

何も知らないのに

柄にだけこだわりがあって

直感でパッパと選ぶ私に

寄り添ってくださったのを覚えています。

 

こちらは「束ね熨斗」という柄。

 

沢山の熨斗を束ねることから

人と人との繋がりと

多くの人々より祝福を受けていることを

意味します。

 

また、熨斗の長さから長寿の象徴とされ、

様々なおめでたい意味を含む吉祥文様です。

 

だけど、、

 

このお気に入りの留袖を着るチャンスは

しばらくありませんでした。

 

私の家族は結婚式をしない

シンプルな選択をした夫婦が多く

また、そのスタイルが流行りでもありました。

 

5年前にようやく息子の結婚式で

初めて着ることが出来ました。

 

後になって

色んなことを知って

今になって思うことや

改めて感謝することが沢山あります。

 

私は大切に育ててもらい、

振袖は適齢期に着れなかったけど

大好きな着物に毎日触れる日々が

今ここにあり

当時は知らなかったけど

昔ながらの習わしでは

19歳の厄払いとして

紋のついた着物を作ることがあったそうで、、

 

私は知らないままに流れで

その通りのことをしてもらっていました。

当時の祖母や母が知っていたかどうかは

わかりませんが

おそらく、初孫でひとり娘の私には

「振袖」を着せたかったんじゃないかなぁと

思いました。

 

用意してくれた着物を着た時には

祖母は他界していましたが

着物生活を始めた頃には

まだ健在でしたから

何かしら喜んでもらえていたと

思うことにしています。

 

そうそう

着付けを習う前にも

友だちの結婚式に出席する時に

祖母が40歳くらいの頃に誂えた着物を

母と3人であれこれ言いながら

着せてもらったこともありました。

 

思い出と着物。

私の宝です。

 

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