はごろもランジェリー店主治代(haruyo)の日記

ハンドメイドのリラックスランジェリーと着物と自然と生活

怒りや悲しみが外側に向く人は

人とのコミュニケーションの方法が変化してきて

私が個人的に「ここ気をつけなくちゃ」と

思っていることがあります。

 

最近は面と向かって伝えることを

極端に控える傾向が見られ

その原因は悪意がある人との区別がつかないこと

だと思いました。

 

例えば…

近所の子どもが道端で泣いていて

おじさんが声をかけたら

「怪しい人に声をかけられた」と

通報されてしまう。

 

電車に乗る時に

チカンと間違われないために

手を挙げた状態で乗らないといけない。

 

悪いことをしていなくても

その風潮に合わせて工夫しているのは

とても思いやりのある行動ですが

窮屈に感じられますね。

 

善意も受け取り方によっては

ありがた迷惑でもあり

近所のこわいおじさんは

あまり見かけなくなりました。

 

それに

子どもたちが遊ぶ声もほとんど聞こえず

勝手に遊び回る子はなぜか危ないとか

問題児の様な扱いになることも少なくありません

 

その反面、SNSを見ていると

顔の見えない赤の他人に対して

暴言まではいかないにしても

正論を捲し立てたり嫌味を言う様な

状況を度々見かけます。

 

昔からあると言えばそうなのかもしれませんが

鬱憤が溜まった人が

本人の意思に関わらず発言をしている様に

思えます。

 

誰もが手軽に写真も撮れるし

 

楽しいとか嬉しいを表現して

軽く表現した文章にも

 

粗探しの様にしてみたり

反対側の意見をしてみたり、、、

 

よく読めば趣旨が分かるものに対しても

いきなり言及してあったりして

 

投稿主さんの想いとは全く違う所へと

どんどん話が進んで行ってしまっていたり。

 

関係ない私が見ても恐ろしく感じることも

ありました。

 

本当に、どうしてこうなってしまったのか

嘆かわしく思います。

 

書くことも自由ではありますが

相手を傷つけるかもしれない発言は

本当にフリーなのでしょうか?

 

一度投げかけてしまった言葉は

相手に伝わった時点でどう受け止められるか

わからないものではあります。

 

前述した近年のコミュニケーションと同じく

善意が伝わらない場合もあると思います。

 

いつの時代にもこういったすれ違いが

生じてしまうことはあるのかもしれませんが

 

SNSが一般的で手軽に誰でも

コミュニケーションがとれる様になった今

 

一人一人の声が届きやすくなったと捉え

 

「言葉の紡ぎ方」を

今一度、見直す必要があるのではないかと

感じています。

 

傷ついた人が、しばらくご飯が食べられなくても

眠れなくても

最悪の事態があったとしても

言い放った人は痛くも痒くもありません。

 

そして

そんなことを言う人は

誰かに言われたとしても反論できたり

自分の意見を曲げない強さを持っているのかも

しれません。

 

ですが

実際に言われた側に立ってみたら

いい気分では無さそうな気がします。

 

もしかしたら同じ様に傷ついて

生活に支障が出てきてしまうかもしれません。

 

浅く感じるSNSを含む

インターネットの社会ですが

実は、手軽ではあるけれど

 

昔なら出逢うこともなかった様な

遠く離れた人たちの暮らしや工夫などを

詳しく知ることが出来る

素晴らしい環境でもあります。

目の前でリアルに見えるのですから。

 

自分の周りの環境や価値観が

その方の環境や価値観では

また違ったものとして捉えられることも

「あるだろう」と思って接していないと

とんだ恥をかくことにもなりかねません。

 

様々な価値観があることを

知らないのはどちら?という話ですね。

 

知識の浅い人だと思って

「こうしなさい」とコメントをしたら

とても詳しい人から見たら

コメントをした人の知識も浅かったり。。。

 

実名や住まいなどを出さなくとも

投稿を見ていたら人となりがわかるし

 

知識はたんまりお持ちの賢いはずの方々が

実はネットリテラシーが身についていなくて

言葉の紡ぎ方をミスっておられることも

なんだか見ていてとても恥ずかしくなります。

 

使い方、間違っていませんか?

その知識を知りたい人のために

自分のところで投稿なさってはいかがでしょうか

 

「ものごとをすばやく深く知る」

このチャンスをいただいていると思って

ひとりひとりが言葉の紡ぎ方に気をつけるだけで

世の中の流れが変わっていくと思います。

 

実際

思っているのに言えない世の中ではありますよね

 

だからと言って

顔が見えない人に

深く、その状況や想いを汲み取りもせず

自分の意見を押し付けるのは

 

本人が意図していなかったとしても

意図しているとしても

例えば丁寧な言葉を並べて

それが正論だったとしても

許されることではないと思います。

 

自分も気をつけなくちゃ、と、思うばかりです。

 

最後に

言われてしまった側の方が

ご覧になられているとしたら

参考にしてみてください。

 

傷ついたあなたはまっすぐで素直な人。

 

そんなつもりじゃなかったのに

言い方が悪かったのかな?

 

いいえ。例えそうだったとしても

コメントする側のリテラシーとは

全く関係ありません。

 

何故ならDMすることも出来るし

優しく指摘することも、見守ることも

出来るからです。

 

コメントする側のメンタルの状態だと

推測しています。

 

怒りや悲しみが外側に向く人は

実際はどうであれ「かわいそうな人」だと思って

 

受け止めたり立ち向かったりせず

ブロックしてください。

 

別の世界で生きてもらえばいいだけです。

 

 

世の中には共通点がある人が居るもんだ

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息子さんの結婚式に留袖を着ようと

ご用意されていたという投稿に

裾模様の意味合いをお伝えして

喜んでいただいたということが最近ありました。

 

私の大好きな束熨斗で

私も息子の結婚式で着たので

とても親近感があり思わずコメントを

させていただきました。

 

私が積み重ねて来た知識が

役に立って本当に嬉しく思いました。

 

末息子の時にも着れるのかな。

留袖はまだまだいっぱい活躍する予感。。。

 

自前のものもありますが

比翼なしの八掛が紅絹の留袖これも

裾模様が束熨斗で

丸帯とセットで揃えています。

 

こちらは日の目を見ることがあるかどうか。

写真はあるはずだけど見つからず

思いついたら近いうちに

実物を開けて眺めておかないとと

マイルールがあるのです。

 

そうでもしないと

沢山ある着物たちに虫干しを

してあげるチャンスがないのです。

 

贅沢なことです。

 

普段着から正装まで

沢山の着物を持っていて

それが私の宝物でもあります。

 

もちろん実用しています。
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先程の留袖のお話の他にも投稿を拝見して

コメントをすることがありました。

 

着物を日頃からよく着られる方の

「ちょっといいところへ出かける時の

洋服がむしろない」という投稿には

賛同しますとコメントをしました。

 

私の持っている服は本当に

着物か部屋着みたいな服しかないです。

 

孫のお宮参りや七五三の時に、

毎回着物を着ていたら

もう少し軽めにと言われてしまいましたが、

 

超カジュアルなエプロンワンピースしか無くて

困りました。

 

法事も着物で行くと珍しがられますが、

本当にちょっとかしこまった所に

お出かけする様なお洋服を持ってないんです。

 

そしてぶっちゃけると

あったところでおそらく着ません😆

 

投稿主さまも小紋で行って

引かれたことがあったそうです。

 

小紋は普段着なのに、ちゃんとしてる(し過ぎてる)感あるっぽいですよね😄

 

訪問着→小紋に着替えてお食事に行ったり、

授業参観で小紋着てたり…

 

理解され難いこともあるかもしれませんが

やっぱり気にしないことにします👘

 

洋服はリメイクがメインになってくるかなぁ。

 

この投稿を見てなんだか

仲間が沢山で、心強くなりました✨

ご先祖のおかげで整いました。

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お盆は過ぎてしまったけれど

お墓参りをしてきました。

 

お盆も仕事だし混むから

迎え盆送り盆は自宅でしましたが

やはり、定期的に行くことが大事ですね。

 

長男が他界しているので

次男の夫が墓守をしています。

 

祖父母、父母、姉兄がお墓に入っていて

祖父母もお墓に入っておられるということは

父の兄弟姉妹やいとこたちが

訪れる可能性があります。

 

そうしたら

お盆や正月より前に

お墓の掃除をしておいた方が良いですね。

 

行くまでは非現実的(目の前にない)のと

その距離と日々の多忙さで

気持ちが遠のいてしまいがちです。

 

いけないことですが

日常も大事ですし身体を壊しては

もともこもありませんから。

 

ですが

行ってみると「待っていた」ことが

よーくわかるのです。

 

ご先祖は自宅にいらっしゃるし

身近におられるのですが

なんというかお墓そのもの

故郷そのものが待っていてくれているというか…

ありがたいことです。

 

母方の祖父母のお墓はもうどこかわからないので

本当に、島全体を拝む気持ちでいます。

 

今は縮小傾向にある世の中ですが

なんだかゆくゆくはこれを残しておいて

良かったと思える日が来る気がしています。

 

戦後からお家の後継ぎや

家族の暮らし方が随分と変わりました。

 

だけど

ご先祖にダイレクトに会えるこの機会は

自分たちを整える大切なアクションに

なっている気がしました。

 

最優先の自分たちが墓守のお墓へ行き

草を抜いてお墓をきれいにしてお花をかえた後

 

私の祖父母のところへも

行けるかどうか決めました。

 

広島をぐるり一周する様な旅で

帰宅したら450キロくらい走っていました。

達成感があります。

 

私の思いつきに賛同してくれる

運転手の夫と、同乗者の末息子に感謝します。

 

祖父母はもう他界しているので

おじとおばが築200年の家と土地を

管理してくれています。

 

高祖父母、曽祖父母、祖父母、大おば、おば、

それから、血の繋がりがどこまでかは

私が生まれてから生きているうちに会った

人たちは知らない様なお墓が並んでいます。

 

お侍さんだったとか、子どもの頃に聞いた

あれこれの話やらを思い出しながら

私はそこの空気を吸って

当時生きていた人たちの生活に

想いを馳せるのです。

 

私はこれこそが供養だと思っています。

そして、それは肉体のある自分を

とてもわかりやすく素早く的確に

整えてくれました。

 

マイクを買ってみました。

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動画はありますか?と、たまに聞かれます。実はひっそりと少しだけあります。どこまでを公開しようか迷っているのと、正直言ってあまり得意ではないのです。でも、やっぱりやってみようかなと思い直しました。以前、意を決して編集なしでそのまま載せた動画を喜んでいただいたことがあります。ありがたいことです。その反面、声が聞き取りづらいとコメントがあったので、少しでも改善させようと思い、マイクを買ってみました。私自身は、静かな環境で自分の考えをメモしながら深く没頭して作るのが好きなので、YouTubeを見ながら作ったことがありません。着物の着付けもするのですが、やはり動画は混乱するので写真とイラストを見て実践する方が好みです。こんな古風でまるで昭和そのままの様な私ですが、子どもたちに助けてもらいながら再び動画にチャレンジしようと思っています。

https://youtube.com/@hagoromolingerie?si=U8cZ-gC22YtpE8sF

はごろもブラ鈴蘭と着物の共通点

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寸法の測り方と作り方だけ載っているPDF販売の「はごろもブラ鈴蘭」

鈴蘭や手ぬぐいブラは特に和装の発想がもとになっています。

今、浴衣を作るための寸法の割り出しをしながら改めて思ったのですが以前のお仕立て寸法と比べてみたら違いがありました。

体型は、変化してゆくものですので着心地が変わったなぁと思ったらもう一度採寸をしてみましょう。

そして、試作は基準を作るためにとても重要です。

初めて作る時も、まずマイサイズを知ることから始めてみてください。

自分を理解することそのものも大切な工程のひとつです。

心のこもったお料理がプラスαで美味しく感じるのと同じで、リラックスして楽しみながら自分のために作る下着は充実感があります。

誰かの基準ではなく、あなたのサイズを作ってみてください。

 

https://hagoromo.shop-pro.jp?pid=151264787

自分のことを知る

すごく大事なこと【心と身体の繋がり】について話します。

 

手づくり下着のこととはかけ離れている様に思えますが、

 

まず今着ている下着や洋服の締めつけや着心地に不快感を持ったことから

 

たどり着いた方が殆どなので、掘り下げていくと心にも繋がっていることに薄々気づかれているのではないでしょうか。

 

答えを探す旅に疲れきってしまっている方もいらっしゃることでしょう。

 

最初から全部わかったら、簡単なのかもしれません。だけど本当にそれで良いのでしょうか。

 

他の誰かが検証して見つけた「ヒント」は近道になるかもしれません。

 

だけど最終的な「答え」は自分で導くものです。

 

謎解きの様に自分のことを少しずつ知っていく作業そのものが「癒し」に繋がり、身体を緩めます。

 

悲しみや怒りや不安や恐れを抱えた身体は常に緊張状態で硬直しています。

 

しんどいから外側になにかないかと探し求めて、良さそうなものがあったら試してみます。

 

試してみた時に結果を急ぐ傾向にあります。

 

残念ながら焦りは良い結果を導かないので、怒りや不信感に繋がることもあるでしょう。

 

せっかく掴みかけたヒントを道半ばで捨ててしまうこともあるかもしれません。

 

それは表向きは自分以外の外側に向けている様ですが、自分に向かっています。

 

もっと、自分のことを待ってあげて、ゆっくりと見守ってください。

 

選んだ自分を信じてください。

 

しばらく待つと、緩んできます。

 

そうしたら、どんどん変わって行きます。

 

わかる人にはとても単純な話で、始めた人にはもう馴染んで簡単なことなのですが、一歩を踏み出す手前の人にとっては信じ難く、難しい話に聞こえるのかもしれません。

 

そもそも心と身体の繋がりそのものがあまりにもかけ離れたものだと感じ、人は常に元に戻ろうとする作用が働いているので、胡散臭いと思ったりするかもしれません。

 

この心の動きは私も経験済みで、通り過ぎた時に大事な通過点だったんだろうなと思いました。

 

社会的な道理で導いた正しさを自分の考えだと思ってしまっていることがあります。

 

時には相反する位置にあることもある「自分の本当の気持ち」を汲み取ることから始めるとよいかもしれません。

 

そうは言っても、時が満ちたら勝手に進んで行くんですけどね。

 

その時に変に抵抗しない自分がいたらスムーズだなと思います。ものづくりをしていたら、なんとなくそれがわかると仰る方が多い気がします。

 

得意不得意、器用不器用というのは外側から自分を評価しているものであって、常々そういうことに左右されているのです。

 

それが社会的に見るということになりますが、その時点で自分の気持ちを置いてきています。それを乗り越えて「やってみる」にたどり着いたらもう第一歩を踏み出しています。

 

ハンドメイドや着付けそして、生活の中のお料理やお洗濯、掃除は心を整えるツールにもなっていることに気づいていますか?

 

簡素化することも時には有効ですが、たまに、自分のためにじっくりとやってみると「なんかわかる」という気持ちになるかもしれません。

命は繋がり、巡っている。

まだ、聞き分けも出来ない様な

幼い子を連れた親たちに、

 

静かにさせろしつけをしろと

注意をするおじさんを見て思うところがあった。

 

でも、私は意見しませんでした。

 

子どもをあたたかく見守るというのは

時には親ですら出来ないこともあるし

 

ましてや

その環境に慣れていない人だったら

子どもがどんな成長段階でどうなるかなど

わかるはずがない人に

 

わからせようとすることほど

無駄なことはないと思ったから。

 

可愛らしい

懐かしい

と、フォローしてくれるのは大半が

子育て経験者か、想像力のある

あたたかい人々です。

 

子育てにどの程度理解があるか

参加してきたかで見ると

時代背景も大いに関係があります。

 

バリバリ働いてきた

家のことは妻に任せてきた人が

 

よその小さい子を見て「親の責任だ」と

言うのも無理はないかなと思うのです。

 

じっとしてられない時期の親は

正直それどころではありません。

 

命を守るのに精一杯です。

 

元気な子もいれば大人しい子もいますし

色んな子がいて当然なのですが

「選べません」

 

誰しも子どもの頃が必ずあって

多かれ少なかれ見守られながら

成長したことを思うと

 

どうか寛大な目で見守ってもらえたらと

願うのは、無理な話なのでしょうか。。。