はごろもランジェリー店主治代(haruyo)の日記

ハンドメイドのリラックスランジェリーと着物と自然と生活

命と向き合う時間。

人の命は儚い。

 

昨日の弔問では

抱えきれない程

心にダメージを受けた。

 

と、同時に

 

縁の繋がりは

血や文化や価値観、時間、

色々なものを超えていると感じた。

 

とにかくなにより

ありがとう。

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ご遺族様

しばらく話したのちに

ふと思い立ち

畑で育てた野菜を

私たちにと収穫。

 

誰かが亡くなったあと

身近な者はしばらく

ふたつの時間を過ごす様な気がする。

 

故人がいない現実を突きつけられ

悲しみに暮れる日々と

 

思い出の中に確実にいる故人と

今も共存している感覚で

「いつもの日常」

地に足がついた日々を

 

しばらく過ごして

やがて、分離した感覚が

じわりじわりとひとつになっていく。

 

身を裂くような

深い悲しみで

 

心が壊れてしまわないための

ある種の防御策を

人は本能的に知っているのかもしれない。

 

辛いことがあった時

乗り越える力は

 

もうダメだとか

これ以上は無理だとか

思った時に起きる底力なのか。

 

過ぎ去ってみればそうなのかも知らないけど

その時は必死だからわからない。

 

でも

悲しみの真っ只中には

励ましでもなく

義務でもない

 

ただただ共に過ごすなんでもない

時間がいるんだと

幾度か経験したお別れのあと

心から思った。

 

で、やっぱりそれは

寄り添う側にも気づきがあるので

寄り添っているという感覚ではなく

全くのフラットな状態。

 

分かち合う。

 

「ありがとう」という言葉が

何度も何度も浮かぶ。

 

夫とそのことを確認しながら

昨日帰路に着いた。

 

夫は私に亡き母を感じることが

あるのだそう。

 

私が義母と会ったことがなくても

命は繋がっていて

ご縁とは「血」だけでなく

不思議な深さを時々みせられる。

 

弔問と父の一周忌は

命と向き合う時間だった。