はごろもランジェリー店主治代(haruyo)の日記

ハンドメイドのリラックスランジェリーと着物と自然と生活

来年も美味しくいただくために



 

先日

@arinomomo さんと

インスタライブした時の動画を

@hagoromolingerie のリールで残しています。

 

その時に話したことは

主に畑や種のことでした。

 

以前にこちらのブログでも

柿のことで書いたことがありました。

haruyo11.hatenablog.com

ちょいちょい出てくる畑のこと

自然と調和した暮らしをしていて

何を伝えたいのか

なぜ沸々と湧いてくるのか

それは

肌で感じているものがあり

 

「当たり前に受け入れていること」

それが、実はとても重要なのかもしれないと

思うからです。

 

その当たり前が

失われつつあることなのかもしれない。

ハッとしました。

 

それはどんなことかと言うと

大まかに表現するとしたら

「自然との調和」で

こちら側からみたら

「来年も美味しくいただくため」の

ちょっとした工夫があること。

 

実家の畑では

季節になると芽を出す植物が

いくつもあります。

 

お庭や敷地内に季節になると

花が咲いたり、実がなったりするし

そこらへん一帯が

なり物という恩恵がある宝庫なので

この時期にはこれ

こんな空気感の頃には

こんなにおい(花の香りとか)がして

○○の実が成る、だとか

そんな感じの生活です。

 

それで

畑は木とは違うのになぜ同じ様に

季節になると生えてくるのかと言うと

土の中に種や根を残しているから。

 

時期になったら自然と生えてきます。

 

「自然と」これが実は重要で

人間が早くに撤去してしまえば

それは叶いません。

 

生命力がものすごかったら別ですが、、、

 

どんなものがあるか一例を出すと

青紫蘇、赤紫蘇、ニラ、ミント、どくだみ

コスモス、から鬼灯、みょうが、風船かずら

ケイトウ、花魁草、茜

まだまだあるはず。。

 

時にはじゃがいもやさつまいも

トマトなども出てきます。

 

これには

次々と畑を使って育てるというよりは

種が落ちるまで待ってから

放置でもなく管理しすぎるでもなく

しているからかもしれないと

インスタライブで話しながら思ったのです。

 

父は草刈りの名人で

例えば花魁草の芽が出ていたら

草刈り機で草を刈りながらも

その芽を避けることをします。

 

そうか、、

こういうあれこれが

自然と共存してるということなのかもしれない。

 

もちろん

買ってきた種をまいたり

苗を植えることだってあります。

 

時には種を譲ってもらうことも。

 

でもこの

なんというか

当たり前すぎて着目していなかったことは

 

もしかしたら

自然と触れ合っていなければ

想像がつかないことなのかもしれないですね。

 

言い方としては

「勝手に生えてくる」ですが

実は勝手というほど無法地帯なのではなくて

ある程度、お手入れして

畑が成り立っています。

 

例えば

季節になればそこらへんの道端にも

生えてくるどくだみですが

我が家のどくだみは畑の中の、

さらにハウスのなかで美しく育ちます。

 

そのハウスに玉ねぎを干したい時期に

生えてくるので

片付けがてら、少しずつ洗って干して

お茶にします。

 

これが

季節や気候の変化に気づきやすい身体の

土台というか

源なのかもしれません。

 

綺麗な言い方としては

「自然と暮らす」

だけど

沢山のタスクがあります。

 

お手入れの中には食べることも含まれ

一定の期間で収穫し

保存食を作ったり、

粗末にせず分け与え合う

必要な分だけいただくなど

在り方の基本となるものも含まれます。

 

暮らしを整えることに忙しくしているのは

なんだか原始的ですが

これこそが

みんながいいねと言ってくれる

部分なのかもなーと思いました。

 

いつだったか

リトリート先として

実家を整備しては?

という話がありました。

 

こんな田舎に何をしに来るの?

なぁんて思ったりしましたが

身体や心にはきっと良いだろうなぁ。

 

そして

私のしている当たり前が

今の暮らしにはない方が

懐かしかったり、新鮮だったり

するのかもしれません。

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