はごろもランジェリー店主治代(haruyo)の日記

ハンドメイドのリラックスランジェリーと着物と自然と生活

はごろも和の会の目的と在り方

私が想像したのは

 

ルールで縛るのではなく

心を寄せ合い共に楽しみ響きあうための会。

 

強制的な講習会等もありません。

 

−−−−−−−−−−以下抜粋。−−−−−−−−−−−

 

「同じ心を持つ皆様とつながり、和の心を感じながら、新しい下着の文化をともに楽しんでゆくこと」を理念にしております。


はごろもランジェリーの商用利用許可システムは、認定講師を育てる従来のピラミッド式組織ではなく、それぞれが自分のライフスタイルにあった方法で、生活に自然に馴染み、無理なく続けられる会員制度です。

 

−−−−−−−−−抜粋終わり。−−−−−−−−−−

 

詳しくはこちら

商用利用について【はごろも和の会】 | Hagoromo Lingerie はごろもランジェリー

hago-romo.com

 

そうだ、私がなぜ上下関係ではなく

フラットな集いをイメージしているのか。

 

今までの道のりの途中、私は

「自由」を提言するなら

会すらも無くていいのでは?と

自問自答した。

 

想いの奥の奥に

問いかけてみると

 

ふいにひとつの答えが浮かび上がった。

 

「ルールは縛るものではなく、より快適に

みんなで向上していくためのもの」

 

いや、最初からそうだったのだけれど

「言葉にして伝える」

この伝え方、伝わり方がなかなか難しかった。

 

自由なら、解禁したら良いじゃないか。

そればかりが浮かぶ日々だったし

そう思えばそういう人があらわれる。

 

非常にもやもやした。

 

同じような作品や

同じような商品を扱う方々から

 

「嫌なイメージ」を受け取っていた。

 

それは

あからさまな反対意見や敵対心。

 

私からその活動をやめて欲しいとか

そういう気持ちはなかった。

 

じゃあなぜもやもやするのか

嫉妬なのか

 

そんな時、私の父の言葉が浮かんだ

「ライバル的存在」の捉え方。

 

お互いが向上するため

ゲームを楽しむために

ライバルは存在する。

 

相手を蹴落として

自分だけが上がろうとしたって

それは誰も気持ち良くならない

例え優勝したとしても。

 

これは戦後の高度経済成長期に

子ども時代を過ごした父の世代では

珍しい教えなんじゃないかなと思う。

 

私は、小学生の時に

陸上競技で大会に参加したり

書道で入賞した時など

 

その都度いろんなニュアンスで

父から教わったのが

この考え方だった。

 

ただ、この価値観は

競争社会ではものすごく生きづらかった。

 

なぜなら

私がそう思っていても

相手はそう思うとは限らないから。

 

いやむしろ、互いに良きライバルだなんて

思ってくれる人に出会えていたら

 

こんなに捻じ曲がって

40代半ばにしてようやく

伝える「言葉」を見つける様なことには

ならなかっただろう。

 

なぜ仲良く出来ないのか

なぜ手を取り合うことが出来ないのか

なぜ相手を敬うことが出来ないのか

同じ志のはずなのに。

 

私の受け止め方が変だと

封印してみたりもしたけれど

 

不器用にもそれしか出来ない私は

今、私の扱い方を知れて

本当の意味を深く理解して

とてもとても、父に感謝している。

 

そして

ようやく腑に落ちたからなのか

どんどん理解者が集まってくれている。

 

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